楽器の習得や上達の速度は人それぞれではあるのだけど、結構同じような時期に同じような悩みやもがきはあるもので。そんな思いを共有してみようと思います。
二胡を始めて10年になりますが、私の描いた、上達曲線は表すとこんな感じです。芋虫が歩いたような道ですが・・。
成長に喜びを感じたのは、最初の3年くらい。あとはスランプなのか不向きなのかもわからないまま進み続けている感じかもしれません。

二胡を始めて1年目
自分は天才なんじゃないかと思った。どんどん曲が弾けるようになる。弾いているのが楽しくてしょうがない。
子供の頃にピアノを習っていたのも大きなサポートになったと思います。
弦楽器が生まれて初めての私にとって、全てが新しい体験だらけでワクワクした。
ましてや、最初の教室の門を叩く時、すでに発表する場を決めていた。
二胡を始めて半年のことだから、そこでの演奏はもはや事件に近かった。今考えても無謀なことをしたと思う。
まともに弾けるわけもないのに、弾けるつもりで人前に出たのだから致し方ない。しかも100人もいる人の前でだ。
その時自分が受けた打撃は、奈落のそこへ頭からまっしぐらに落ちるくらいの衝撃。
でも、それが私の二胡のスタートだった。
二胡を始めて2年目〜3年目
2年目 もっと上手になりたいと思った。
先生!どうしたら上手になれますか?音楽をやっている方々にも聞いて回った。自分に響いたものが二つ。
「人前で演奏すること」
「人前でどんどん恥をかくこと」
3年目 人前で弾く機会を作りはじめた。仲の良い友人たちを前に弾く。小さな音楽会に一緒に出させてもらう。
人前で弾くことになれるのだ!場数が必要なのだ!と思っていた。
あーでもない、こーでもないと悩みながらも、上手になってきたね〜〜と人から褒めてもらえるのが嬉しかった。
でも、こんなのでいいのだろうか?と言う自問自答も起こる。
上手になった=下手 を意味していると思った。あ〜〜いつまでたっても下手くそだ。
そんな時に、憧れの音に出会った。ウェイウェイウー先生だ。それまで習っていた先生も大好きだったのですが、もう憧れてしまったのですからどうしようもない。ウェイウェイ先生の教室へ移った。
二胡を始めて4~6年
お教室に入ると、周りの方はもう10年以上クラスの方ばかり。上手な方ばかりに圧倒される。
教わること全てが新鮮だったし、先生の音を目の前で聞いているだけで泣けた。囲まれる全てが刺激的でした。
でもね、こんな下手くそな人が、どうして私たちと一緒なの?と思われているように感じてたまらなかった。
被害妄想に近いけど、だから必死に練習しました。
6年目 ご縁あってウェイウェイ先生の教室で講師をすることになりました。人に教えるということが自分をさらに上昇させたと思う。
同時にこの頃、何をどうしたら自分の音が良くなるのか、上達できるのか、全くわからなくなっていた。
この時、先生のご事情も重なり先生から教わることができたのは所属するクラスのグループレッスンだけだった。
講師としても、自分自身の演奏も、一般的にいえばスランプと言うのか。
今振り返って見ると「何がわからなかったのか?」
「自分の現在地点がわからなかった」が一番近い。
できてるのか?できてないのか?
何ができて、何ができていないのか?
自分の練習の仕方は正しいのか?
上達できているのか?
前進できているのか?
前進する方向はあっているのか?
どんな練習をしたらいい?
自分の「不足」にしか目がいかない。これを自分で埋められる術がないのがもどかしくて、人生の時間を無駄にしているように思えた。私そんなにゆっくりしていられないのに!って。
こうして振り返ってみると、私結構後ろ向きで、自虐的だと笑えてきた。
スランプの時に答えを出してくれたもの
スランプって自然現象。歩いている道に落ちてるのが足で蹴飛ばせる程度の石ころか、道を塞ぐほどの巨石か。
好きで出会った楽器。不向きという概念は不要です。
好きになった人に、私はあなたに不向きなので、お別れします!というようなもの。相手は何も言っていないのに。
スランプを乗り越える方法は、人の数ほどあるのでしょうね。
私のそんな時期に確実に自分に答えをくれるものがあった。
それは、人前で演奏する「ライブ」。
練習では弾けるつもりになっているが、本番ではメタメタになる。これはメンタルだけの問題ではなく、本番で出せたものが「今の自分の力」ということだ。自分の立ち位置を確認できた。
これを確認するのは、かなり落ち込む。この世の終わりかと思うくらい落ち込む。
悔しすぎて、ライブの次の日からもう二胡握りしめて練習しまくっていましたもん。
でもね、その後の成長が何段か階段を登ったかのように、出来なかったことがスルッとできるようになる。
ライブのあとは、苦しんだ分、ギフトがやってきたのですよ。
人前でどんどん恥をかく、ってこう言うことなんだと思いました。
今の自分から振り返って、言えることは
「悩みながらも、弾き続けること。とにかく弾き続ける。人前で!そしてソロで!」
沢山じゃなくてもいい。家族や友人だけでもいい。
でも、ソロじゃなきゃだめ。誰のせいにも出来ないから。
やりながら、だんだんまとまっていく。
「自分はどこを目指したいんだろう。どうなりたいんだろう。なんで二胡辞めないんだろう?」って。
私自身二胡でどうなりたいのか?答えは一つでした。あの時も今も。
「自分を感動させる音が出したい」それだけなんです。
家族の事情や色々なタイミングが重なり、ウェイウェイ先生のところは離れることになりましたが、
自分の中では、技術的なことを遠慮なく聞ける先生が欲しかった。
聞きたいことを聞きたいだけ質問できて、答えてくれる。そういうスタイルが欲しかった。
求めるものが明確になると、答えも出会いも生まれるものです。
自分で言うのもなんですが、「検索力」が抜群にあるんですよね。(笑
こういうのない?こう言うのよ!絶対何処かにあるはず!って探す力。
気がつけば、二胡も10年。まだ10年。
迷ったり、悩んだり、考えたり、検索したり、色々なことが力になっています。
昨年中国曲に専念して、気づいたこと。
ポップスでは弾かない表現方法が沢山あるんです。それを学んだことで、耳が成長しました。
言葉と一緒です。耳がいいから聞こえるのではないんです。発音できると聞こえるようになります。
発音できると、
聞こえるようになる。
聞こえるようになると、
何をしているか見えるようになる。
何をしているか見えてわかると、
真似できるようになる。
真似できるようになるのは、スキルの一つです。
上達すると起こる現象
自分が上達している感じがしない、と思うのはすでに上達している人です。
もちろん全体を通しての課題もありますが、上達してくると、mm単位の小さな修正が必要になってくる。
弓の方向を1mm変える。
この小節のこの音にだけアクセントをつける、最後の音にだけつける。
全音符の伸ばし方をクレッシェンド、デクレッシェンド。
1小節ごとに向き合っていく。
ボディービルのような太い筋肉ではなく、バレリーナのような細い筋肉が鍛えられていく。
それが全体のプロポーションを変えていく。
前進距離が短いから、沢山進んでも進んだ気がしない。
そんな調子です。そこを根気よくやっていくと、また明かりが見えてくる。
また、年齢と少し戦うところでもありますね。結構お年頃になってきましたから。
焦っても転ぶだけなので、ゆくっり正確に気持ちよく やり続けた先に、できた時ができるようになった日。
この日までに〜〜〜〜!と言うお約束ができなくなっているのも正直なところであります。
でもね、できるようになるんですよ。
人間の体はすごいですから。
頭からだけ指令を送っているのではなく
体を動かすことで、頭に指令を送る
相互関係で人間は物事を習得していきます。
私の旅
生まれてから、死ぬまでの間、全ては通過点。各駅停車で、その駅のいろんな景色を見せてもらってます。
私の旅なんだな〜と思います。
これを読んで、やっぱり楽器の習得には時間がかかるんあだ〜と思うかもしれません。
いやぁ、かかりますね。
今の自分もまだ出来ないことの方が多い。
自分の時間を、自分がどう使うか!そのアレンジの違いがあるだけです。
あれもこれも、沢山のことをやりたい!方はそう時間を使えばいいし
いいも悪いもなく、それぞれの旅。どんな行程をアレンジして楽しむかはその人次第ですものね。
海も山も城もグルメも全制覇〜〜と言う旅もよし。
城だけを攻める旅もよし。
グルメ旅も素敵!
お宿のこだわり旅だって素敵。
移動の手段にこだわるのも、面白い。
私は、「自分を感動させる音に出会う旅」を進んでいるだけ。
そんな旅を一緒に歩いてくれる人が、少なからず出てくるもので。
沿道で旗振ってくれたり、おやつくれたり(笑 そうするとまた元気ももらえる。
そのために、自分のやっていることを発信するのは、いいことだなとも思えるようになってきました。
そして、私の夢の終着駅は、「オーケストラと弾くこと!」
音楽と旅することを選んだことは、幸せだ!と改めて思う朝でした。


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